水道企業団の歩み

沿革

 水道企業団を構成する桶川市、北本市は、東京都心から40kmから45kmの位置にあり、昔は中山道の宿場町として繁栄したのが始まりである。その後明治16年に上野~熊谷間に鉄道が開通し、昭和27年には高崎線が電化になり、国道17号線も整備され、交通手段の発達と社会経済情勢の変化に伴い純農村地帯から、団地、工場等の進出による都市化の波を受けるにいたっている。 地勢はおおむね平坦で、気候は年間を通じて比較的温暖であり、気温は年平均で19度前後となっている。

 

創設事業(昭和39年度から昭和45年度)

 住民の飲料水は、地下水脈に恵まれていたこともあって、浅井戸、掘抜井戸によって得ていた。しかし、地下水利用の増加により水位が年々低下し、飲料水にも事欠く地域が続出し、加えて水質においても、大部分の井戸が大腸菌に汚染されていた。このため四季を通じて赤痢の発生が非常に多く、また都市化による水需要の要請が強くなり、上水道布設が両町(当時)施策上緊急かつ重要な課題となってきた。


 このため、両町ともそれぞれ水道経営を検討したが、事業の広域的経済性を考慮し、両町の協議により共同で実施することになり、昭和38年10月1日に県知事の許可を得て地方自治法第284条の規定による一部事務組合として、『桶川北本水道組合』が発足した。さらに同年12月17日には水道事業経営の認可を厚生大臣より得て、昭和39年度から昭和43年度までの計画で創設事業に着手した。


当初計画は、水道水源に含まれている鉄分、マンガンを除去するため急速ろ過池を用いる予定であったが、用地の都合、維持管理費削減のため密閉式急速ろ水機に浄水方法を変更するとともに、人口の急増に対応するため配水管の延長を含め、工期も昭和45年度まで延期する変更認可を昭和42年3月31日に得た。


 この間、昭和41年7月に住民待望の石戸浄水場が部分完成し、通水を開始することができ、事務所も桶川町役場内仮事務所から石戸浄水場内に移転した。その後、昭和42年4月1日には地方公営企業法の改正により『桶川北本水道企業団』と改称し、同法を全面適用して企業会計方式に変更し、継続して事業の推進を図り、昭和45年度にはその計画の全部を完了した。

 

第4号井さく井工事01 第4号井さく井工事
第4号井さく井工事

 

第1期拡張事業(昭和45年度から昭和49年度)

 桶川町、北本町の人口増加はその後も著しく、創設事業期間中の昭和44年度には給水人口が計画給水人口を上回る状況となった。又給水量においても施設能力の限界に達し、さらに北本町に住宅都市整備公団北本団地が進出することになり、早急に事業の拡張が必要となった。

 

 このため、第1期拡張事業計画を樹立し、昭和45年1月22日に厚生大臣の認可を得て、昭和45年度から昭和49年度の5カ年計画で、一部創設事業と並行して事業に着手した。事業は計画どおり順調に進み、昭和46年12月には、2番目の浄水場として中丸浄水場が完成し、事務所も中丸浄水場に移転して昭和49年度には事業の全部を完了した。

 

中丸浄水場配水池築造工事 中丸浄水場配水池築造工事
中丸浄水場配水池築造工事

 

 

第2期拡張事業(昭和50年度から昭和55年度) 

 両市の人口増加は依然として衰えず、しかも下水道の普及等による生活様式の向上により、一人当たりの使用水量が増加することから引き続いて事業拡張が必要となったため、昭和50年3月31日に厚生大臣の認可を得て、昭和50年度から昭和54年度までの5カ年の予定で第2期拡張事業に着手した。

 
 しかし、事業期間中において、石油ショックによる全国的な経済不況に見舞われ、水需要が伸び悩み計画の見直しが必要となった。同時に、当初計画では水源は全て地下水であったが、昭和54年度から埼玉県広域第二水道事業からの受水が決定し、水源を地下水から地下水と受水(県水)に種別変更の必要が生じた。


 このため、計画当時との急激な情勢の変化に伴い計画全部を再検討して、水源種別の変更を行い昭和54年3月20日に県知事の変更認可を得た。


 事業期間中の昭和54年5月には、3番目の浄水場として県水受水を主とする川田谷浄水場が完成し、給水人口120,000人、一日最大46,100m³の施設能力を有する施設となり、昭和55年度には予定した事業の全部を完了した。

 

川田谷浄水場RC配水池築造工事	中丸浄水場中央管理室
川田谷浄水場RC配水池築造工事 中丸浄水場中央管理室

 

第3期拡張事業(昭和63年度から平成7年度)

 昭和60年度末に給水人口が計画給水人口を超える120,355人になったものの、一人当たりの使用水量が伸び悩み、第2期拡張事業終了からの7年間は、現有施設で対応していた。

 

 しかし、桶川市東部工業団地の造成や両市の土地区画整理事業の進展、マンション等の建設が次々と計画され、施設能力を超す水需要の増加が想定される事態となったため、昭和63年3月31日に厚生大臣の認可を得て、昭和63年度から昭和70年度(平成7年度)までの8カ年計画で、第3期拡張事業に着手した。

 

 平成2年1月には、川田谷浄水場に6,000m³のPC配水池が完成し、施設能力が一日最大50,800m³になり、平成4年2月には、5,000m³のPC配水池が設置された新設の加納配水場が完成し、施設能力が計画どおりの一日最大61,200m³となった。

 

 施設の改良として、平成4年4月に石戸・中丸両浄水場の滅菌設備を、液化塩素注入設備から安全かつ取扱いの容易な、次亜塩素酸ナトリウム注入設備に変更した。

 

 事業期間における配水管布設工事は、配水管総延長23,653.3mを布設し管網整備につとめ、事業の全部を完了した。

川田谷浄水場PC配水池築造工事 川田谷浄水場PC配水池築造工事
川田谷浄水場PC配水池築造工事

 

第4期拡張事業(平成8年度から平成12年度)

 平成7年度に第3期拡張事業が完了するも、水需要は土地区画整理事業や工業団地造成等により増加し、一日最大給水量61,200m³を超えることが予想された。

 

 また、関東平野北部地盤沈下防止対策要綱で、給水区域が保全区域に該当していることから、地下水採取量を抑制させ、県水(埼玉県水道用水供給事業)受水量を増量して、水需給バランスを確保させるような取水計画に変更する必要が生じた。

 

 このため、計画給水量に見合った水源を確保し、水道施設全般の整備を行い、給水業務の円滑な運営を図り、さらに、厚生省の「21世紀に向けた水道整備の長期目標」にある、緊急時給水拠点の確保として、大規模な災害発生時などの緊急時における給水拠点の機能として定めた、配水池容量が計画一日最大給水量の12時間分を確保するため、平成8年3月29日に厚生大臣の認可を得て、平成8年度から平成12年度までの5カ年計画で第4期拡張事業に着手した。
 平成9年7月には、川田谷浄水場に2基目の6,000m³のPC配水池が完成し、施設能力は、66,200m³になり、平成12年3月には、加納配水場に2基目の5,000m³のPC配水池が完成し、全体の施設能力は計画どおり71,200m³となった。
 事業期間における配水管布設工事は、12,674.2m布設し、管網整備につとめ、事業の全部を完了した。

 

加納配水場PC配水池(2基目)築造工事 加納配水場PC配水池(2基目)築造工事
加納配水場PC配水池(2基目)築造工事

 

第4期拡張事業変更(平成24年度以降)

 平成12年度に完了した第4期拡張事業以降、少子高齢化の進行、節水意識の浸透や節水機器の普及など水道事業を取り巻く社会情勢も大きく変わり、わずかな伸びを見せていた給水人口も減少に転じ、今後も全国的な傾向と同様に減少傾向が続くものと予測される。1日最大給水量も平成13年度の54,787㎥をピークに減少し続け、平成24年度には49,000㎥を下回るに至り、近年の水需要は前回計画とは大きく乖離し、見直しを図る必要性が生じていた。

 このような状況の中、平成24年度に首都圏中央連絡自動車道(圏央道)の計画内に位置していた中丸浄水場系の第9号水源(深井戸)を移設し、取水地点の変更認可を行うこととなったことから、この変更に合わせ平成25年3月28日に厚生労働大臣の認可を得て、計画給水人口を144,900人、計画1日最大給水量を51,600㎥へそれぞれ見直した。

この内容に関するお問い合わせ先

総務課 企画財政係
電話:048-591-2775(代)